自分の容量を増やそう(決意)

色々な人と切磋琢磨していきたいです。

18歳最後の日

 浪人生活もそろそろ軌道に乗って来た5月初旬、私は生まれて初めて労働をした(素直にアルバイトと言えばいいものを)。アルバイト開始から幾日も経たずとも、ここ数日間は実に多くの事を体験できた。その体験はカルチャーショックに似たようなもので、未だに整理がつかない事でも、まだ時期早々でもあるのだが、この初々しくとも生々しい硬骨な感触を身体が覚えているうちに書き記そうと思った訳である。そんな18歳最後の日。

 まず第一に、アルバイトで主体性を感じられない。これが今まで自分のやりたい放題やってきた少年に大きく突きつけられている訳で(だからカルチャーショックに似ている)1、ひたすら無心に作業をこなす、下手な枯山水に似た代物だという事だ(枯山水自体はとてもすごい芸術だと思います。念のため)。

 第二に焦燥感を大いに感じる。なぜかと言うと、先述した「主体性の無さ」が私にそうさせるのだという自然発生的だが次第に薄れていってしまうだろうという無常観とあわさってそうなるんだろう。正直よくわからない。ただ、自分とは最も縁がないだろうと言うか、最も嫌っていた「単純労働者」の世界を垣間見た、恰も「彼岸を見てしまった」という気分になるのは確かだ。この辺は完全に主観的な話で、青二才な感じがプンプン漂う代物なのだが、まぁそれはさておき。

 若者もといサブカルチャー界隈にはよく社会へ反発することが流行る傾向があるのは良くある話だが、正直今でそんなこと気にすることはなかった。寧ろどこか冷たい目で「無意味www 乙wマックス=ウェーバーに勝てるのかww 」とか思ってた次第である(若者なのにね)。

 だが最近では、彼らの気持ちが何となくわかるようになった。学生運動もよくわかる(マルクス主義とか実存主義に傾倒しているわけではないのでそこのところ勘違いしないでね)。主体性を持っていた人が、主体性のない世界に入ることは、その人の理想とは真逆の方向を攻めることになり、大いに抵抗したくなるものではないかと。さらにその抵抗も虚しく、いずれ薄れていってしまうことは先達が通った道であると心なしか知っている為、また大きく暴れたくなるのではないかと。

 自分は浪人生である。とても恵まれていると思う。進路がまだ決まっていない。可能性がある。やはり自分のしたい事を仕事にしたい(この辺は未だ曖昧だけど勘弁して)。このままではいけない(これ焦燥感の表現リレー)という事が、「絶対に東大に入ってやる」と昇華されて私を奮い立たせてくれよう。つまり、アルバイトをしている自分自身を反面教師として、今後はより一層勉強に精進して参ろうとここに決意する。自分は今、戸口に立っている。もうすぐ19歳になる。世間様の足音が聞こえてくる。

 

追記:えっちぃな本が買えるようになって1年ですか。ここで、僕の18歳の誕生日を振り返ってみます。まず第1に、朝、母親に向かって「僕は今日、エロ本を買おうと思う」と布告してから登校しました。笑われました。高校にて、受験勉強の「じ」の字も無かった私は、放課後に教室のど真ん中で「俺は今日18禁本を買うぞ」と友人らに宣言してそのまま秋葉原とらのあなに行ったわけです。身分証明書はパスポートのみ。まぁそこで余りにも露骨すぎる商品らに辟易してしまって、結局無難に東方2次創作の画集を買いました(確か古明地姉妹とか、いくてんメイン。失禁描写もあって閉口)。ですが、私は東方で絶対に致さないというポリシーで生きているので一度も使用していません。完全に観賞用でした。とてもクオリティが高く、いつか私もこういう絵が描けるようになりたいと思いました。そして次の登校日にその本を高校の教室で開いてニヤニヤしてお終いですね。今考えるとだいぶ逝ってたと思います。あと、高校生は18禁買えませんよ。いけませんからね。あ、本を買ったのち、その流れで家族と築地で寿司を食べました。いいですね。

はじめました

 これから一年間、受験勉強の記録をしようと思います。気楽にいこうと考えてます。新元号が発表された日なので、そういう機運があったんです、はい。

 タイトル名は「自分の容量を増やそう(決意)」にしました。昨年度で「自分は弱い」と散々思い知ったワケでして、今年度は大学合格に向けて自己鍛錬をしようという意気込みからこういうタイトルにしました。何の因果かハンネ絡みでもありますし。

 受験勉強・バイト・その他教養を身につける等やる事は多いですがね、まぁやりますよ、ええ、やるしかないんです...自分のことですからね。